レーシックなら神奈川の美容外科を利用ブログ:17-08-25
おいらは父母が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でお酒に溺れる親父、
そのことで親父をなじるママ。
そしてその怒りを姉貴やおいらにぶつけ、
姉貴はその怒りをおいらにぶつけていました。
家には居場所がない…
お子さんの時のおいらは
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
ママに見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
おいらは当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
ママは言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
おいらがみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通のお子さんでしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのない親父とママ、姉貴との確執。
その時のおいらの望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をウエストにあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
日々のように思っていました。
そしてある時、おいらは決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そしておいらは一度だけ父母に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
父母は頭を下げました。
でも、そんなおいらでも
今は少しづつ親父もママも姉貴も
許せていっています。
姉貴にお子さんが産まれ
実家でお子さんたちと遊ぶようになった時に、
姉貴から
「ありがとう」と感謝をされたことで
おいらの中で何かがかわりはじめたんです。