いわゆる歯科とはホワイトニングは異なるブログ:17-07-06
1週間くらい前、小学生のむすめが、
「うちのおじいちゃんって、ふつうのおじいちゃんとなんか違うよね…」
申し訳なさそうに、小さな声でミーに囁いた。
「ふつうの」という表現に、
ミーは吹き出しそうになりながらも、
その理由を尋ねた。
むすめは少し間をおいて答えた。
「だって、悪いことをしたら目を三角にして怒るし、
謝るまで絶対に許してくれないもん」
「ふつうのおじいちゃんたちは、そこまでマジにならないしね…」
と畳み掛けてきた。
確かにミーのお父さんは、
大きなからだに仁王様のような鋭い眼光で、
一見他を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
七十歳を前にして体力が衰えてきたとはいえ、
その風格は昔となんら変わりはない。
そんなお父さんを、むすめたちもまた一線を画して見ていたのだ。
ミーは自分がお子さんだった頃のお父さんを思いだした。
厳しく、寡黙なお父さんだった。
筋の通らないことをしようものなら、
容赦なく大きな平手が飛んできた。
ミーは無性に怖かった。
でも一方で、そんなお父さんを誇らしく思う自分がいた。
それは、言動の端々に
お父さんの人情深い側面を見ていたからかもしれない。
こんなことがあった。
かつて消防署員であったお父さんが
救助活動を終えて帰宅した時だった。
タバコをもみ消すしぐさに、
お父さんのいらだちがみてとれた。
しばらくして、お父さんはその理由を言葉少なに語り始めた。
洪水で溺れかけていた親子の救助に向かい、
お子さんを救おうと手を差し出した時だった。
「ミーを先に助けて」と叫びながら、
ママがお子さんを押し退けて
ボートにしがみついてきたのだという。
「残念だ」
一呼吸おいて、お父さんはひとこと言った。
いざという時にこそ、
身を挺してお子さんを守るのが両親ではないのか…
そんな義憤が聞こえてくるようだった。